HOME MEAL MEISTER 01私たちの食生活
1-食生活のうつりかわり(1)
1.食の伝播(でんぱ)と変容
日本固有の食文化とは何だろう。まず頭に浮かぶのは米食であるが、実のところ、米は、日本で発祥したものではなく、外来のものである。稲の発祥地は、インドの東端から中国雲南あたりの地域(東南アジアという説もある)で、日本に水田稲作の技術が伝わったのは、起源前1千年ごろの弥生時代といわれている。他にも、味のベースとなる、酢や醤油・味噌など、基本的な調味料も大陸より伝えられたものである。実は、このように、食文化の歴史は、他民族との交流により伝わり、そして、気候・風土そして、固有の文化の中で変容というプロセスの繰り返しである。
植物が栽培されるようになったのは、約1万年前と言われ、稲は紀元前4千年前、小麦は紀元前7千年前に栽培が始まったとされる。図1には、農耕文化の起源地と伝播の様子が描かれている。その後、15世紀の大航海時代*1を機に、農耕や文化は、飛躍的なスピードで、かつ広く伝わった。この時期、ヨーロッパ人がアメリカ大陸に上陸した際に、とうもろこし、じゃがいも、トマト、唐辛子を見つけ、ヨーロッパに持ち帰ったことに始まり、世界中に広まった。
農耕により穀類を得て、食料を安定的に得るとともに、たんぱく源としては、魚や獣類の狩猟をすること、あるいは、家畜化してその家畜の乳を発酵乳やバターなどに加工するなど、ユーラシア大陸やアフリカ大陸では、乳を利用する文化も発達している。日本をはじめとする東アジアでは仏教の影響で、乳の利用はあまり見られないが、後述するように、牛の乳を発酵したものが歴史の記述にも残っている。また、香辛料や調理方法の発達により、様々な食文化が各地で発達していく。
*1 大航海時代
15世紀から17世紀初めにかけて、ポルトガル、スペインに代表される西ヨーロッパ諸国が、大洋航海により新航路、新大陸を開拓していった時代。バスコ=ダ=ガマのインド航路発見、コロンブスのアメリカ大陸到達、マゼランの世界一周航海の成功などが行なわれ、その後のヨーロッパ近代諸国家による非ヨーロッパ地域の植民地化をもたらした。【ジャパンナレッジ日本国語大辞典より引用】
2.日本の食の歴史
(1)飛鳥・奈良・平安時代
稲作伝播以来、家畜の飼育も同時に始まったとされ、奈良時代には、牛乳やその加工品である蘇(そ)や醍醐(だいご)*2が食されたという記述もある。が、仏教の影響で、肉食が禁止されて以来、日本では、肉食の習慣が根づかなかった。また、この時代には、遣唐使が持ち帰ったものに唐菓子(からがし)*3があり、鑑真和上(がんじんわじょう)により砂糖が伝わったともいわれる。
平安時代には、貴族文化が花開き、大饗料理と呼ばれる、飯、おかず、そして醤(ひしお)*4 、酒、酢、塩の調味料が供された、現在のお膳のようなスタイルが登場する。銀、銅、ガラスなどの素材、箸やさじなどの道具や食器も多種多様となった。 もちろん、このような食文化は、支配者階級に限られ、庶民は、雑穀や蔬菜(そさい)など質素な食事を余儀なくされ、その後、このような状況は、近代まで続く。また、食品流通という視点では、食品のみならず、様々な文化がもたらされ、市(いち)が立ち、食品の売買が盛んになった時代であることも注目したい。
*2 蘇(そ)や醍醐(だいご)
蘇は牛乳を煮詰めたもの、醍醐は現代のバターやチーズにあたるもの。醍醐味という言葉はここから由来する
*3 唐菓子
粉を練って油で揚げたお菓子。ドーナッツをもっと硬くしたようなもの
*4 醤(ひしお)
大豆に小麦で作った麹と食塩を合わせた味噌のような調味料。もうひとつの意味は、絞る前のしょうゆ。
<参考文献>
- 中尾佐助:栽培植物と農耕の起源(岩波新書)(1966)
- 大塚滋:食の文化誌(中公新書)(1975)
- 江原絢子、石川尚子、東四柳祥子:日本食物史(2009)吉川弘文館
- 瀬川清子:食生活の歴史(講談社学術文庫)(2001)
- 菊池勇夫:飢饉‐飢えと食の日本史(集英社新書)(2000)